PCの無い生活 [日記]
5月のGWの記事をblogに・・・・と思っていたらもう6月
なぜこんなにも更新と皆様への訪問が滞っていたかたというと・・・
PC壊れました~~~
電源をONにしても全くログイン画面が現れず、主人がリカバリーCDを使って修復を試みたものの、とうとう駄目だということがわかり・・・・
この記事は主人のPCで書き込みしています・・・
毎日ネット漬けの日々だったのですが、携帯で出張の予約関係は出来ましたし、それほどの「不便」は感じないものの、情報を得ることが皆無となり、かなり世間の動向に疎くなっています・・・
新聞も朝ではなく帰宅後見るため、(マンション階下に降りるのが面倒&スッピンでは恐ろしくて出歩けません)ざっとしか目を通さない(社会人として問題有り)日々が続いております・・・・
今月21日に3歳の誕生日を迎えるうなは元気でいます
まだまだPC修理に時間がかかるため、しばらく更新が滞りがちだと思います。
なぜ修理に時間がかかるかって???
今月末に毎年恒例の奄美大島遠征に行ってくるからです
しばらくはそちらの準備が忙しいため、PC修理は放置せざるを得ない状況でして・・・
先日キャスティング練習に行ったら、数時間、しかも連続して投げていないのに翌日筋肉痛
果たして3日間の釣行で体力は保つのか心配です・・・
と、こんな感じで過ごしております。。。
なぜこんなにも更新と皆様への訪問が滞っていたかたというと・・・
PC壊れました~~~
電源をONにしても全くログイン画面が現れず、主人がリカバリーCDを使って修復を試みたものの、とうとう駄目だということがわかり・・・・
この記事は主人のPCで書き込みしています・・・
毎日ネット漬けの日々だったのですが、携帯で出張の予約関係は出来ましたし、それほどの「不便」は感じないものの、情報を得ることが皆無となり、かなり世間の動向に疎くなっています・・・
新聞も朝ではなく帰宅後見るため、(マンション階下に降りるのが面倒&スッピンでは恐ろしくて出歩けません)ざっとしか目を通さない(社会人として問題有り)日々が続いております・・・・
今月21日に3歳の誕生日を迎えるうなは元気でいます
まだまだPC修理に時間がかかるため、しばらく更新が滞りがちだと思います。
なぜ修理に時間がかかるかって???
今月末に毎年恒例の奄美大島遠征に行ってくるからです
しばらくはそちらの準備が忙しいため、PC修理は放置せざるを得ない状況でして・・・
先日キャスティング練習に行ったら、数時間、しかも連続して投げていないのに翌日筋肉痛
果たして3日間の釣行で体力は保つのか心配です・・・
と、こんな感じで過ごしております。。。
春の訪れまで・・・ [日記]
大震災から1ヶ月以上経ちましたが、未だ先が見えない状況に心を痛めています。
関東は計画停電がなくなり、電車も通常運転に近づいてきて、ようやく通常の生活はできるようになりました。
先日岡山出張の際、駅の照明が全て点いていることに、何だか不思議な気持ちに・・・
エスカレーターも動いている・・・・
これが今までの生活だったんだと、気づきました。
余震に怯えなくてよい、というのも本当に嬉しいことですが、出張で家族と離れているときにまたあのような災害があったら家族と会うのも大変だ・・・と思うと急いで帰宅する気持ちになりました。
そして帰宅するとまた余震
いつになったら緊急地震速報に怯えずに生活出来るのでしょうか。。。
出張を再開しましたが、震災で行けなくなった宮城の取引先に送っておいた資料一式がないため、時々不便な思いをしていました。現地が業者によって配達できる状況になったら送り返してもらおうと思っていたのですが、ようやくそれも出来そうだと思い、取引先に電話したところ・・・
「あ~~~お元気でしたかぁ~~~っ」
と前回同様明るい声・・・
「いついらっしゃいますか~~~?東北新幹線開通したらすぐ来てください~~~~
とおっしゃるため、「会社から許可が出たらすぐに行きますよ」などという会話をしながら荷物の返送を依頼。
「これ送っちゃったら来てくれないかも~と思って~~~何かお土産入れたくなっちゃう~~~」
とおっしゃるので
「大丈夫。荷物はまた送りますからそれに、お土産そちらの空気でいいですよ」
などとお話しし、お互い会ったことがないのに、前から知っている人のような感じに・・・・
お互いに「早く会えるといいですね!」と会話して、電話を切りました。
2日間の長崎出張を終え、会社に出社すると宮城からの荷物が到着。
中を開けるとそこには地元ガイドと絵はがきにメッセージが・・・
「お待ちしています」
はがきの最後の一言に、「早く会いたいな」と思うのでした。
関東は計画停電がなくなり、電車も通常運転に近づいてきて、ようやく通常の生活はできるようになりました。
先日岡山出張の際、駅の照明が全て点いていることに、何だか不思議な気持ちに・・・
エスカレーターも動いている・・・・
これが今までの生活だったんだと、気づきました。
余震に怯えなくてよい、というのも本当に嬉しいことですが、出張で家族と離れているときにまたあのような災害があったら家族と会うのも大変だ・・・と思うと急いで帰宅する気持ちになりました。
そして帰宅するとまた余震
いつになったら緊急地震速報に怯えずに生活出来るのでしょうか。。。
出張を再開しましたが、震災で行けなくなった宮城の取引先に送っておいた資料一式がないため、時々不便な思いをしていました。現地が業者によって配達できる状況になったら送り返してもらおうと思っていたのですが、ようやくそれも出来そうだと思い、取引先に電話したところ・・・
「あ~~~お元気でしたかぁ~~~っ」
と前回同様明るい声・・・
「いついらっしゃいますか~~~?東北新幹線開通したらすぐ来てください~~~~
とおっしゃるため、「会社から許可が出たらすぐに行きますよ」などという会話をしながら荷物の返送を依頼。
「これ送っちゃったら来てくれないかも~と思って~~~何かお土産入れたくなっちゃう~~~」
とおっしゃるので
「大丈夫。荷物はまた送りますからそれに、お土産そちらの空気でいいですよ」
などとお話しし、お互い会ったことがないのに、前から知っている人のような感じに・・・・
お互いに「早く会えるといいですね!」と会話して、電話を切りました。
2日間の長崎出張を終え、会社に出社すると宮城からの荷物が到着。
中を開けるとそこには地元ガイドと絵はがきにメッセージが・・・
「お待ちしています」
はがきの最後の一言に、「早く会いたいな」と思うのでした。
開花の季節 [日記]
大震災からすでに3週間。
日に日に物流は回復してきたようで、被災支店への救援物資も緊急性が少なくなってきたようです。
宮城県・名取市にボランティアに行った方が子供さんのおもちゃを持っていったら、とても喜んでもらえたとのことで、時間とともに必要とされる物資が変わっていくことを感じました。
関東では4月に入り、ようやく日常を取り戻してきました。
出張も一部再開します。
まずは緊急性の高いものから再開しますが、早速明日からは都内の出張に行ってきます。
久しぶりにスーツを着て、パンプス履いて・・・・・
新入社員になった気分で行ってきます・・・
うなのお散歩でもお花をあちこちで見ることが出来るようになってきました
桜ももうすぐ咲きます。
日に日に物流は回復してきたようで、被災支店への救援物資も緊急性が少なくなってきたようです。
宮城県・名取市にボランティアに行った方が子供さんのおもちゃを持っていったら、とても喜んでもらえたとのことで、時間とともに必要とされる物資が変わっていくことを感じました。
関東では4月に入り、ようやく日常を取り戻してきました。
出張も一部再開します。
まずは緊急性の高いものから再開しますが、早速明日からは都内の出張に行ってきます。
久しぶりにスーツを着て、パンプス履いて・・・・・
新入社員になった気分で行ってきます・・・
うなのお散歩でもお花をあちこちで見ることが出来るようになってきました
桜ももうすぐ咲きます。
今回の経験から [日記]
今回の地震でいくつか感じた・体験したことをここに記します。
(もちろん全て私が勝手に感じていることですが・・・)
・交通機関がマヒしたことを念頭にして、自宅付近の代替手段としてのバス等をしっかり確認しておくこと。
地図の用意もあるといいです。今回は適当に歩き始めて道がわからなくなった人が多数いました。
何とかなるものではないし、少しでも体力のロスは抑えたいところ。
・携帯でのメール通話はほぼ全滅しますので、家族で集合場所や、交通機関がマヒしたら 徒歩帰宅するのか、遠方ならばそこにとどまるのかを決めておくと混乱が避けられます。
携帯の替電池や乾電池式のチャージャーも持っているといいと思います。
今回わかったのは私の部署は全国出張ばかりするので、かなりの確率でACアダプターを持っていたことを発見。一時避難のカラオケ店で充電が楽にできました。
私もアダプターとチャージャーの両方を持っていますし、場合によっては替えの乾電池も持っていきます。
・今回はスペアキーを兄宅に預けていたことでうなを保護してもらえました。
近くに親戚がいるならば鍵は預けておくと安心です。
・地震で我が家に損害はありませんでしたが、うなを保護してくれた姪が言うには引き出しは全て開いていたとのこと。かなり揺れたらしく、机の上のモノや、壁掛け花瓶(中はアーティフィシャルフラワーだったので水等は入っていません)は落下していました。(割れてはいません)
何より一番問題だったのは水槽
これが一番やっかいですが、我が家は水位をすごく下げて飼育しているので水もこぼれていませんでしたし、水槽自体の落下もありませんでした。しかし、水位が高かったら魚も家具もかなりの損害があったと思います。
・引き出しは開いても中の食器は問題ありません。問題は扉の中のモノです。
扉の中のモノが動き、扉を開けて外に落下していればいいのですが、一見問題なく、通常のとおりに開けて中のモノが足に落下してくる・・・ということがあります。実際会社では紙の書類がぎっしり詰まったファイルが落下してきて足に当たりそうになった人がいました。
そっと開けないと危ないです。我が家は未使用のルアーを入れていた袋が落下してきました。
・耐震ラッチはスゴイ
引っ越しを機に食器戸棚を買い換えていて耐震ラッチ付きの食器戸棚になっていました。
このおかげで食器は扉に当たりながらも外に出ることがなかったようです。
・家具転倒防止伸縮棒はスゴイ
当初まったく対策していませんでしたが、実家の母が泊まりに来た時にタンスの近くに寝てもらったら
「地震のときに危ないわよ」と私からみたら「何で~~?」ということを言われ、次に来たときにうるさいので仕方なく購入・パフォーマンス的に設置しました。
どうせ買うなら送料無料に・・・(セコイ)ということで主人の部屋の本棚の分も購入。
帰宅したらその棒が見事にずれていて・・・・
棒が揺れを吸収したことは間違いが無く・・・・
もしコレがなかったら家の中はとんでもないことになっていたと思います。
そして、すぐに設置しなおさないといけません。かなり緩んででいました。
年に1度はチェックして、緩みがないかを確認すべきです。
今は母に感謝しています。
・会社には運動靴を置いておく
勤務地が近いならば必要ないでしょうが、10キロ以上離れている場合は運動靴でないとかなり辛いです。
ましてや女性のパンプスはあり得ません
以上徒然なるままに記しました。
(もちろん全て私が勝手に感じていることですが・・・)
・交通機関がマヒしたことを念頭にして、自宅付近の代替手段としてのバス等をしっかり確認しておくこと。
地図の用意もあるといいです。今回は適当に歩き始めて道がわからなくなった人が多数いました。
何とかなるものではないし、少しでも体力のロスは抑えたいところ。
・携帯でのメール通話はほぼ全滅しますので、家族で集合場所や、交通機関がマヒしたら 徒歩帰宅するのか、遠方ならばそこにとどまるのかを決めておくと混乱が避けられます。
携帯の替電池や乾電池式のチャージャーも持っているといいと思います。
今回わかったのは私の部署は全国出張ばかりするので、かなりの確率でACアダプターを持っていたことを発見。一時避難のカラオケ店で充電が楽にできました。
私もアダプターとチャージャーの両方を持っていますし、場合によっては替えの乾電池も持っていきます。
・今回はスペアキーを兄宅に預けていたことでうなを保護してもらえました。
近くに親戚がいるならば鍵は預けておくと安心です。
・地震で我が家に損害はありませんでしたが、うなを保護してくれた姪が言うには引き出しは全て開いていたとのこと。かなり揺れたらしく、机の上のモノや、壁掛け花瓶(中はアーティフィシャルフラワーだったので水等は入っていません)は落下していました。(割れてはいません)
何より一番問題だったのは水槽
これが一番やっかいですが、我が家は水位をすごく下げて飼育しているので水もこぼれていませんでしたし、水槽自体の落下もありませんでした。しかし、水位が高かったら魚も家具もかなりの損害があったと思います。
・引き出しは開いても中の食器は問題ありません。問題は扉の中のモノです。
扉の中のモノが動き、扉を開けて外に落下していればいいのですが、一見問題なく、通常のとおりに開けて中のモノが足に落下してくる・・・ということがあります。実際会社では紙の書類がぎっしり詰まったファイルが落下してきて足に当たりそうになった人がいました。
そっと開けないと危ないです。我が家は未使用のルアーを入れていた袋が落下してきました。
・耐震ラッチはスゴイ
引っ越しを機に食器戸棚を買い換えていて耐震ラッチ付きの食器戸棚になっていました。
このおかげで食器は扉に当たりながらも外に出ることがなかったようです。
・家具転倒防止伸縮棒はスゴイ
当初まったく対策していませんでしたが、実家の母が泊まりに来た時にタンスの近くに寝てもらったら
「地震のときに危ないわよ」と私からみたら「何で~~?」ということを言われ、次に来たときにうるさいので仕方なく購入・パフォーマンス的に設置しました。
どうせ買うなら送料無料に・・・(セコイ)ということで主人の部屋の本棚の分も購入。
帰宅したらその棒が見事にずれていて・・・・
棒が揺れを吸収したことは間違いが無く・・・・
もしコレがなかったら家の中はとんでもないことになっていたと思います。
そして、すぐに設置しなおさないといけません。かなり緩んででいました。
年に1度はチェックして、緩みがないかを確認すべきです。
今は母に感謝しています。
・会社には運動靴を置いておく
勤務地が近いならば必要ないでしょうが、10キロ以上離れている場合は運動靴でないとかなり辛いです。
ましてや女性のパンプスはあり得ません
以上徒然なるままに記しました。
平常を取り戻しつつ・・・ [日記]
大震災から早くも1週間。
あの大地震からこれだけ時間がたったのに、未だ安否不明の方々がいることに心を痛めています。
昨日は出勤していましたが、常に携帯で原発の状態と、鉄道の情報を入れています。
ところが・・・
朝は30分程度の運行休止になっていた路線が東京電力との調整がつかず、急遽3時間の停電による休止となっていたりして、ヒヤヒヤしていました。
そして・・・
首都圏の大停電があり得る状態になり、それを知ったのが4時過ぎ・・・
すでに運行本数を減らしている鉄道会社もあり、会社から「帰宅指示」が出ました。
そんな時に限って至急の電話が金沢からかかり・・・
内容が直ぐに解決できる内容でなかったので
「今、緊急で帰宅しないといけなくなって・・・」
と先方にお話しし、翌日電話することで了承してもらいました。
停電になったら困るので飲料水を確保し、こんなこともあろうかと非常食として小さなドーナツを買っていたので(ちょっと用意良すぎますか?)それを持ち、急いで会社を出ました。
会社からの帰宅ルートは2つあるのですが、距離が短いルートは大混雑が予想されたのでもう一つの少し遠回りコースを選択。
ちょうど山手線が来たのでそれに飛び乗り、乗り換え駅でも走り・・・
やはり周囲は急な帰宅指示によって大混乱の中で乗車した人多数・・・
皆、震災時に鉄道運休後の困難さを知っていたので、とにかくより家の近くまで行くルートを選択している様子。
さらにもう一度乗り換えるのですが、いつもは動いているエスカレーターが動いていない・・・
階段に向かって走り、無事に自宅最寄り駅に行く電車に乗れたとき、本当にほっとしました
主人にも「早く帰って!」とメールしていましたが、主人の方が先に状況を察知していて結局同じタイミングで最寄り駅に到着
そして、今日・・・
自宅待機です。
なかなか精神的にはつらいときもありますが、被災者の方々のご苦労を思えば大したことありません
今日は被災した支店から女性衛生用品の買い出し依頼がきました。
一人3個以上の購入を言われていますが、残念ながらその便は火曜日に出てしまいます。
私は火曜日は出張で会社に行かないのでその便に載せることができません
今日見た限りは衛生用品も売り切れ状態で3個以上買うのもなかなか大変ではありますが、探せばあるはずですし、今日はトイレットペーパーも買えました。だんだんこちらは平常に戻りつつあると思います。
被災支店の皆さんはしっかりと他の社員が支えてくれるはずです。
何もできないことに申し訳ない気持ちばかりです。。。
あの大地震からこれだけ時間がたったのに、未だ安否不明の方々がいることに心を痛めています。
昨日は出勤していましたが、常に携帯で原発の状態と、鉄道の情報を入れています。
ところが・・・
朝は30分程度の運行休止になっていた路線が東京電力との調整がつかず、急遽3時間の停電による休止となっていたりして、ヒヤヒヤしていました。
そして・・・
首都圏の大停電があり得る状態になり、それを知ったのが4時過ぎ・・・
すでに運行本数を減らしている鉄道会社もあり、会社から「帰宅指示」が出ました。
そんな時に限って至急の電話が金沢からかかり・・・
内容が直ぐに解決できる内容でなかったので
「今、緊急で帰宅しないといけなくなって・・・」
と先方にお話しし、翌日電話することで了承してもらいました。
停電になったら困るので飲料水を確保し、こんなこともあろうかと非常食として小さなドーナツを買っていたので(ちょっと用意良すぎますか?)それを持ち、急いで会社を出ました。
会社からの帰宅ルートは2つあるのですが、距離が短いルートは大混雑が予想されたのでもう一つの少し遠回りコースを選択。
ちょうど山手線が来たのでそれに飛び乗り、乗り換え駅でも走り・・・
やはり周囲は急な帰宅指示によって大混乱の中で乗車した人多数・・・
皆、震災時に鉄道運休後の困難さを知っていたので、とにかくより家の近くまで行くルートを選択している様子。
さらにもう一度乗り換えるのですが、いつもは動いているエスカレーターが動いていない・・・
階段に向かって走り、無事に自宅最寄り駅に行く電車に乗れたとき、本当にほっとしました
主人にも「早く帰って!」とメールしていましたが、主人の方が先に状況を察知していて結局同じタイミングで最寄り駅に到着
そして、今日・・・
自宅待機です。
なかなか精神的にはつらいときもありますが、被災者の方々のご苦労を思えば大したことありません
今日は被災した支店から女性衛生用品の買い出し依頼がきました。
一人3個以上の購入を言われていますが、残念ながらその便は火曜日に出てしまいます。
私は火曜日は出張で会社に行かないのでその便に載せることができません
今日見た限りは衛生用品も売り切れ状態で3個以上買うのもなかなか大変ではありますが、探せばあるはずですし、今日はトイレットペーパーも買えました。だんだんこちらは平常に戻りつつあると思います。
被災支店の皆さんはしっかりと他の社員が支えてくれるはずです。
何もできないことに申し訳ない気持ちばかりです。。。
良かった・・・ [日記]
本当ならば月曜日から水曜日まで宮城に出張予定でした。
11日、大地震に遭い、震源地や被災エリアを見て、訪問先はどうなっているかとても心配になりました
11日当日は電話など繋がるはずもなく・・・
月曜日は交通機関が本数を激減させていたこともあり、早々に会社を退社し、火曜日・水曜日は自宅待機。
今日ようやく出社しました。
朝はいつもの出勤風景。
違うのは・・・
エスカレーターは全て停止していて、改札の稼働数が少なくなっていることや照明が少し暗くなっていることぐらいです。
会社でいつものように勤務しながらも、福島の原発は気になるところ。
作業をして下さっている方々の無事をただただ祈るばかり。そしてその作業が功を奏すことを祈ることしかできません。
仙台市店が特に深刻な食料・水不足になっていることで、火曜日・水曜日は全社員で買い出しに走り、時間ギリギリの便に載せて無事に到着したことへの支店長からの感謝メールが全社員に来ていました。
抜粋
「皆様にただただ感謝するばかりです。日本人に生まれて本当に良かった!」
ようやく市内に電気が復旧したのは火曜日。どうか・・・どうか・・・無事で、元気で!!
そして今日、担当支社は被災して通信不可となっていたため、訪問先の客先へ思い切って電話しました。
電話が数度コールが鳴ってもなかなか出ない・・・
「やはり出社していないのか・・・」
と思って受話器を置こうとしたら・・・
「はい。○○です」と元気な声。
自分を名乗りましたが、次に出てくる言葉は・・・
「皆さんご無事でしょうか?」
しか見つかりません
すると
「大丈夫です」
ととても明るい声が・・・・
「私、伺えなくて・・・・」
「あ~~~当然ですよぉ~~~!来てるときでなくて良かったですね~~~!」
安心しました。
とにかくほっとしました。
結局その場所は今回の被災地と違って温泉地で内陸なため、電気こそ月曜日まで止まったけれど、ガスはプロパンだし、水は来ていたとのこと。
ただし・・・
コンビニにはモノがなくなっているとのこと。それでも近くの酪農家の方に牛乳を分けてもらったり、卵を分けてもらっていることをお話して下さいました。
問題はガソリンです
ガソリンがなくて日に日に国道を走る車が減っているということで、雪も20センチほど積もっているので車は必須。
「こちらでも売り切れなんですよ」
というと
「何でそちらで要るんでしょうね?」
と言われ、返す言葉が見つかりませんでした。
「こちらでもやはり買い物に車がないと困るエリアがあることや、小さなお子さんがいる家庭は車が要るんだろう」とお話しましたが、東北の方々の逼迫している状況は皆知っているはず。
今はガソリンは被災地に送ってもらいたいと思っています
もちろん我が家は歩いて公共交通機関まで行けるし、買い物も普段から大量買いしても歩いているので、問題なし。当分車は乗りません。
その方とお話しながら、
事前に送っていた資料は急いで返してもらう必要はないので、落ち着いたら戻してもらえればよいこと、東北新幹線がしばらく開通しないため、今回の仕事が先延ばしをすると効果が薄れると思われたのでキャンセル可能であることを伝えました。
すると・・・
「もぉ~~こうなったらぜひともお会いしたいからぜひ来て下さい」
と返事。
いつになってもいいから・・・とのことで、いつかこんなことを乗り越え、笑顔でお会い出来る日が早く来ることを祈り、初めましてなのに懐かしい・・・という出会いを約束して受話器を置きました。
11日、大地震に遭い、震源地や被災エリアを見て、訪問先はどうなっているかとても心配になりました
11日当日は電話など繋がるはずもなく・・・
月曜日は交通機関が本数を激減させていたこともあり、早々に会社を退社し、火曜日・水曜日は自宅待機。
今日ようやく出社しました。
朝はいつもの出勤風景。
違うのは・・・
エスカレーターは全て停止していて、改札の稼働数が少なくなっていることや照明が少し暗くなっていることぐらいです。
会社でいつものように勤務しながらも、福島の原発は気になるところ。
作業をして下さっている方々の無事をただただ祈るばかり。そしてその作業が功を奏すことを祈ることしかできません。
仙台市店が特に深刻な食料・水不足になっていることで、火曜日・水曜日は全社員で買い出しに走り、時間ギリギリの便に載せて無事に到着したことへの支店長からの感謝メールが全社員に来ていました。
抜粋
「皆様にただただ感謝するばかりです。日本人に生まれて本当に良かった!」
ようやく市内に電気が復旧したのは火曜日。どうか・・・どうか・・・無事で、元気で!!
そして今日、担当支社は被災して通信不可となっていたため、訪問先の客先へ思い切って電話しました。
電話が数度コールが鳴ってもなかなか出ない・・・
「やはり出社していないのか・・・」
と思って受話器を置こうとしたら・・・
「はい。○○です」と元気な声。
自分を名乗りましたが、次に出てくる言葉は・・・
「皆さんご無事でしょうか?」
しか見つかりません
すると
「大丈夫です」
ととても明るい声が・・・・
「私、伺えなくて・・・・」
「あ~~~当然ですよぉ~~~!来てるときでなくて良かったですね~~~!」
安心しました。
とにかくほっとしました。
結局その場所は今回の被災地と違って温泉地で内陸なため、電気こそ月曜日まで止まったけれど、ガスはプロパンだし、水は来ていたとのこと。
ただし・・・
コンビニにはモノがなくなっているとのこと。それでも近くの酪農家の方に牛乳を分けてもらったり、卵を分けてもらっていることをお話して下さいました。
問題はガソリンです
ガソリンがなくて日に日に国道を走る車が減っているということで、雪も20センチほど積もっているので車は必須。
「こちらでも売り切れなんですよ」
というと
「何でそちらで要るんでしょうね?」
と言われ、返す言葉が見つかりませんでした。
「こちらでもやはり買い物に車がないと困るエリアがあることや、小さなお子さんがいる家庭は車が要るんだろう」とお話しましたが、東北の方々の逼迫している状況は皆知っているはず。
今はガソリンは被災地に送ってもらいたいと思っています
もちろん我が家は歩いて公共交通機関まで行けるし、買い物も普段から大量買いしても歩いているので、問題なし。当分車は乗りません。
その方とお話しながら、
事前に送っていた資料は急いで返してもらう必要はないので、落ち着いたら戻してもらえればよいこと、東北新幹線がしばらく開通しないため、今回の仕事が先延ばしをすると効果が薄れると思われたのでキャンセル可能であることを伝えました。
すると・・・
「もぉ~~こうなったらぜひともお会いしたいからぜひ来て下さい」
と返事。
いつになってもいいから・・・とのことで、いつかこんなことを乗り越え、笑顔でお会い出来る日が早く来ることを祈り、初めましてなのに懐かしい・・・という出会いを約束して受話器を置きました。
ほんわか [日記]
今日から輪番停電実施を受け、電車がかなり運休しました。
私の通勤路の電車は朝は通常運行。帰りはいろいろ影響があることがわかりましたので、
状況を見極めるため、1時間遅れて出社。
なのに、山手線の改札では混雑を避けるため入場規制
ホームに上がるとちょうど電車が来ましたが、あふれている人でとても全員乗れそうもない状態。
まさにすし詰めの状態の電車に乗れるはずもなく、1本見送りました。
するとすぐにやってきた電車はガラガラ・・・
すんなりと到着できました。
会社に着くとすでに7割は出社。対応に追われていました。
私は今日から宮城出張のはずたったので、特に急ぎの仕事はありませんでしたが、会社からの指示により、3,4月中の出張は全て取りやめることになり(交通機関不安定・会社の状況から判断)、その手続きや連絡をしました。
遠い長崎の方ももちろん状況はご存じなので快く訪問延長を受け入れて下さいました。
それが終わると、帰りの経路を調べました。
何とかバスを乗り継いだら帰宅できることがわかり、3時過ぎに会社を出発。(帰宅難民とならないよう、会社から早い退社の指示がありました)
途中駅まで来て、そこからバス。
ただし、当然初めてのバスであり、ターミナルの場所もわかりませんから駅係員に聞き、到着すると今まさに出発寸前・・・・
慌てて飛び乗りました。
大混雑していましたが、運良く目の前に荷物を置けるスペースがあり、会社の書類を持ち帰っていたので少々重い荷物を置くと、立っていてもそれほど苦痛ではありませんでした。
道路はもちろん大渋滞。
私の横に汗だくで大量の荷物を抱えていた男性がいました。
一目でその荷物が重そうであることがわかりましたが、その男性の前の席が空いたら・・・。
その男性が私に席を譲って下さったのです
どう考えてもその大量の荷物を持ち続けることは大変だと思ったのに、男性の申し出がとても嬉しかったのですが、私の横には初老のご婦人が、やはり多めの荷物を持っていました。(床に置いていました)
そのご婦人に「どうぞ」と譲り、なんだか「ほんわか」した気分に・・・
男性に私が荷物を置いているスペースに余裕があったので
「荷物、置かれたらいかがですか?」
と声をかけると男性が「ありがとうございます」と持ち上げるのも大変そうに置きました。
ご婦人が途中で降りたので、男性に「座ってください」と声をかけたら「次ですから・・・」とのことだったので、私が着席。
こんな風に時間は掛かりましたが、ストレス無く5時には帰宅できました。
明日は自宅待機となっています。
私の通勤路の電車は朝は通常運行。帰りはいろいろ影響があることがわかりましたので、
状況を見極めるため、1時間遅れて出社。
なのに、山手線の改札では混雑を避けるため入場規制
ホームに上がるとちょうど電車が来ましたが、あふれている人でとても全員乗れそうもない状態。
まさにすし詰めの状態の電車に乗れるはずもなく、1本見送りました。
するとすぐにやってきた電車はガラガラ・・・
すんなりと到着できました。
会社に着くとすでに7割は出社。対応に追われていました。
私は今日から宮城出張のはずたったので、特に急ぎの仕事はありませんでしたが、会社からの指示により、3,4月中の出張は全て取りやめることになり(交通機関不安定・会社の状況から判断)、その手続きや連絡をしました。
遠い長崎の方ももちろん状況はご存じなので快く訪問延長を受け入れて下さいました。
それが終わると、帰りの経路を調べました。
何とかバスを乗り継いだら帰宅できることがわかり、3時過ぎに会社を出発。(帰宅難民とならないよう、会社から早い退社の指示がありました)
途中駅まで来て、そこからバス。
ただし、当然初めてのバスであり、ターミナルの場所もわかりませんから駅係員に聞き、到着すると今まさに出発寸前・・・・
慌てて飛び乗りました。
大混雑していましたが、運良く目の前に荷物を置けるスペースがあり、会社の書類を持ち帰っていたので少々重い荷物を置くと、立っていてもそれほど苦痛ではありませんでした。
道路はもちろん大渋滞。
私の横に汗だくで大量の荷物を抱えていた男性がいました。
一目でその荷物が重そうであることがわかりましたが、その男性の前の席が空いたら・・・。
その男性が私に席を譲って下さったのです
どう考えてもその大量の荷物を持ち続けることは大変だと思ったのに、男性の申し出がとても嬉しかったのですが、私の横には初老のご婦人が、やはり多めの荷物を持っていました。(床に置いていました)
そのご婦人に「どうぞ」と譲り、なんだか「ほんわか」した気分に・・・
男性に私が荷物を置いているスペースに余裕があったので
「荷物、置かれたらいかがですか?」
と声をかけると男性が「ありがとうございます」と持ち上げるのも大変そうに置きました。
ご婦人が途中で降りたので、男性に「座ってください」と声をかけたら「次ですから・・・」とのことだったので、私が着席。
こんな風に時間は掛かりましたが、ストレス無く5時には帰宅できました。
明日は自宅待機となっています。
無事です。 [日記]
昨日、いつものように仕事をしていると・・・
グラグラっと揺れて・・・
そのグラグラといろいろなモノが揺れる音が重なり・・・・
大地震でした
最初はイスに座っていましたが、危険を感じ、机の下に・・・・
それでもなかなか揺れが収まらず、「このビルもつの?」と不安になりながら揺れが収まるのを待ちました。
ようやく収まっても余震が続き・・・
とても仕事どころではありません。
電車は止まっただろう。と皆が予測し、テレビでその様子を見ると絶句・・・
女性は帰宅するよう指示が出ましたが、電車が動いていないので、帰れません。
もちろん歩いて帰れる人は帰宅。
私が帰宅できないと判断したのは過去の「徒歩帰宅訓練」のため。
歩く予定の格好で歩いても、自宅まで10キロ以上残して、かなり疲労していました。
それに川を渡らないと行けないので、その橋が通行可能なのかがわかりません。
津波もあるかもしれません。
疲れても休むところはありません。
同じ方向の方と一応歩き出しましたが、外は寒く、この気候の中を歩き続けるのはかなり大変です。
結局駅まで来て改札がクローズされているのを見て、徒歩帰宅は諦めました。
そして、部長達、居残り組(電車が動くまで待機組)と合流し、居酒屋へ・・・・
食事をしましたが、お店のスタッフがこれないため、食事の提供が遅くなると言われましたが、どうせ時間はかかるのでOK。
ところがそんな人達が次々やってきて、対応しきれないと判断したのか、その後入店を断っていました。
お腹を満たしたら、寒さをしのげる所を探し、結局カラオケ店へ・・・
(不謹慎とは思いますが、飲食店は入店を断られることがあったり、すでに早い閉店をしているところが続出していました。5名いたので、そう言った余裕もでたのかもしれません)
カラオケ店に行くまでに駅はシャッターが下ろされ、当日中の運行復旧はないことを示していました。
実は・・・
主人はこの日に限って滅多にない仕事の打ち合わせで品川に来ていました。
彼はホテルの35階で地震に遭い、かなり揺れてエレベーターは止まったので、歩いて降りてきたそうです。
主人に連絡したくても、全く電話は繋がりません
主人とあまりに連絡が取れないので心配になりました。
そしてうなが心配です。
唯一実家には連絡が出来たので、無事であることと帰宅難民になったこと、うなのことを兄嫁にお願いしことを話しました。
実家は東京がそれほどと思っていなかったようで、驚いていましたが、ビルによっては亀裂が入ったりしていたようです。
主人と連絡が取れないので、主人の実家に連絡してもらいました。
結局この日は深夜12時過ぎまで関東圏は全く携帯はつながらなかったのですが関東圏を出るとすんなりとつながったので、実家を連絡基地としてあちこちに連絡をしてもらうこととなりました。
うなが一人でどんな思いでいるかと思うと心配で、早く兄嫁に連絡が取れることを願いましたが、こんな時に限って、兄嫁も出先で地震に遭い、帰宅難民に・・・・。
兄はドイツに出張中で難を逃れていましたが、兄の子供である姪二人が自宅に残されていることがわかりました。
姪達はいつもうなを出張の際に預けていることもあり、うなを大事に思ってくれているので「何としても連れ帰る」と言ってくれました
実は万一のことを考え、自宅の鍵を兄に預けていたのです。(兄宅と私の自宅は同じ駅です)
この鍵でうなの救出に向かってくれ、無事にうなを保護してくれました(感謝の気持ちでいっぱい・・・)
ただ、すでに深夜であり、姪を歩いて帰らせるには危険なので、兄嫁からそのまま私の家で待機するように言われて、待っていると、夜電車が動き始めたことで帰ってこれた主人が帰宅。その後兄嫁が車で姪達を迎えに来てくれてようやくそれぞれの身が安全になりました。
私は・・・・
主人からの電話が深夜1時過ぎにあり、状況を確認し、ようやく一安心
2時過ぎまで会社の人たちと一緒にいて、動き始めた電車ですんなりと3時過ぎに帰宅できました。
さすがに交通機関も終夜運転してくれていました。
このとき、運転手さんや駅の係員の方に感謝する気持ちが出てきて、「ありがとう」と言いたい気持ちに・・・
周囲に支えられながら今こうして無事を報告できています。
ただ・・・
実は月曜日から宮城・大崎市に出張に行く予定でした。朝、月曜日の時間等を先方と打ち合わせしていたのですが、とても行ける状況ではないと想定。
地震直後から連絡が付かず、部長判断で出張は取りやめとし、訪問中止のメールを一方的に送りましたが、現地が無事なのかさえわかりません。
みなさんが無事でいることを祈っています。
グラグラっと揺れて・・・
そのグラグラといろいろなモノが揺れる音が重なり・・・・
大地震でした
最初はイスに座っていましたが、危険を感じ、机の下に・・・・
それでもなかなか揺れが収まらず、「このビルもつの?」と不安になりながら揺れが収まるのを待ちました。
ようやく収まっても余震が続き・・・
とても仕事どころではありません。
電車は止まっただろう。と皆が予測し、テレビでその様子を見ると絶句・・・
女性は帰宅するよう指示が出ましたが、電車が動いていないので、帰れません。
もちろん歩いて帰れる人は帰宅。
私が帰宅できないと判断したのは過去の「徒歩帰宅訓練」のため。
歩く予定の格好で歩いても、自宅まで10キロ以上残して、かなり疲労していました。
それに川を渡らないと行けないので、その橋が通行可能なのかがわかりません。
津波もあるかもしれません。
疲れても休むところはありません。
同じ方向の方と一応歩き出しましたが、外は寒く、この気候の中を歩き続けるのはかなり大変です。
結局駅まで来て改札がクローズされているのを見て、徒歩帰宅は諦めました。
そして、部長達、居残り組(電車が動くまで待機組)と合流し、居酒屋へ・・・・
食事をしましたが、お店のスタッフがこれないため、食事の提供が遅くなると言われましたが、どうせ時間はかかるのでOK。
ところがそんな人達が次々やってきて、対応しきれないと判断したのか、その後入店を断っていました。
お腹を満たしたら、寒さをしのげる所を探し、結局カラオケ店へ・・・
(不謹慎とは思いますが、飲食店は入店を断られることがあったり、すでに早い閉店をしているところが続出していました。5名いたので、そう言った余裕もでたのかもしれません)
カラオケ店に行くまでに駅はシャッターが下ろされ、当日中の運行復旧はないことを示していました。
実は・・・
主人はこの日に限って滅多にない仕事の打ち合わせで品川に来ていました。
彼はホテルの35階で地震に遭い、かなり揺れてエレベーターは止まったので、歩いて降りてきたそうです。
主人に連絡したくても、全く電話は繋がりません
主人とあまりに連絡が取れないので心配になりました。
そしてうなが心配です。
唯一実家には連絡が出来たので、無事であることと帰宅難民になったこと、うなのことを兄嫁にお願いしことを話しました。
実家は東京がそれほどと思っていなかったようで、驚いていましたが、ビルによっては亀裂が入ったりしていたようです。
主人と連絡が取れないので、主人の実家に連絡してもらいました。
結局この日は深夜12時過ぎまで関東圏は全く携帯はつながらなかったのですが関東圏を出るとすんなりとつながったので、実家を連絡基地としてあちこちに連絡をしてもらうこととなりました。
うなが一人でどんな思いでいるかと思うと心配で、早く兄嫁に連絡が取れることを願いましたが、こんな時に限って、兄嫁も出先で地震に遭い、帰宅難民に・・・・。
兄はドイツに出張中で難を逃れていましたが、兄の子供である姪二人が自宅に残されていることがわかりました。
姪達はいつもうなを出張の際に預けていることもあり、うなを大事に思ってくれているので「何としても連れ帰る」と言ってくれました
実は万一のことを考え、自宅の鍵を兄に預けていたのです。(兄宅と私の自宅は同じ駅です)
この鍵でうなの救出に向かってくれ、無事にうなを保護してくれました(感謝の気持ちでいっぱい・・・)
ただ、すでに深夜であり、姪を歩いて帰らせるには危険なので、兄嫁からそのまま私の家で待機するように言われて、待っていると、夜電車が動き始めたことで帰ってこれた主人が帰宅。その後兄嫁が車で姪達を迎えに来てくれてようやくそれぞれの身が安全になりました。
私は・・・・
主人からの電話が深夜1時過ぎにあり、状況を確認し、ようやく一安心
2時過ぎまで会社の人たちと一緒にいて、動き始めた電車ですんなりと3時過ぎに帰宅できました。
さすがに交通機関も終夜運転してくれていました。
このとき、運転手さんや駅の係員の方に感謝する気持ちが出てきて、「ありがとう」と言いたい気持ちに・・・
周囲に支えられながら今こうして無事を報告できています。
ただ・・・
実は月曜日から宮城・大崎市に出張に行く予定でした。朝、月曜日の時間等を先方と打ち合わせしていたのですが、とても行ける状況ではないと想定。
地震直後から連絡が付かず、部長判断で出張は取りやめとし、訪問中止のメールを一方的に送りましたが、現地が無事なのかさえわかりません。
みなさんが無事でいることを祈っています。